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神理教の大教殿前

  神理教のあらまし  (大教殿前)

 神理教は我国の古代神道を復活させた教派であり、高祖饒速日命[こうそにぎはやひのみこと]が天照大神より万民救済のため天璽十種[あまつみしるしとくさ]の神宝を授かった時にはじまり、その子孫が代々神事・神術を伝えて七十七代教祖巫部佐野経彦命によって祖述大成されたものであります。

 十代五十言宿祢[いそことすくね](宗祖)によって五十言の言霊[ことだま]が解明され、十二代物部伊美岐[もののべいみき](先祖)は履中[りちゅう]天皇の詔[みことのり]をうけ全国を巡り悪病を平癒し、此地に天在諸神を奉斎し万民の信仰の基を定められ、十六代物部兄奇[えぐし]は雄略[ゆうりょく]天皇の御病を平癒せしめ、その功績により巫部の姓と日月五星[にちげつごせい]の御紋章(現在の教紋)を賜わり豊国[とよくに]巫部の始祖となられたのであります。

 以来十代毎に伝書が書き改められ、七十七代教祖経彦[つねひこ]命によって明治二十七年一教として独立したのであります。

 教祖神は天保五年二月十六日御生誕され、幼少より神童の誉れ高く、ご睡眠僅[わず]か四時間、著[あら]はされた教書千巻(二百七十部)御教歌ニ万余首といわれ、全国隈なく御宣教なられた御労苦は人間業とは考えられないのであります。かくして神人一致の境地に進まれた教祖神は明治九年十月十六日大神祠広前において、「汝のため又誠を守るもののために神はおかげを授ける」と天在諸神よりお言葉を賜り、名実ともに天津神理誠[あまつみことわりまこと]の道しるべ経彦明星大神[つねひこみょうじょうおおかみ]となられ、今もなお私たちの誠の守護神として御働きになっておられます。

奉斎主神 天在諸神[あめにますもろもろのかみ] 十八柱

配祀神 配祀諸神[あわせまつるもろもろのかみ] 十四柱

 他に徳力山には造化宮(天在諸神を祀る)、大元稲荷神社、教祖神奥津城[おくつき]、巫部家奥津城があります。

 本教はここ本院を中心に、北は北海道から沖縄に至るまでの教勢を維持しております。

大正八年に完成   昭和四十二年 瓦葺き替え 四万枚

昭和五十六年 大神祠修復
式殿 四十畳  拝殿 一六四畳
木額(奥より)
神理無敵 神道総裁一品幟仁[たかひと]親王 明治十五年二月十七日
宇内最上神理教場 山県有朋   明治十七年
神理霊感  丁丑[ひのとうし] 唐陰    昭和十二年

赫々神理教 伊藤博文 明治17年  赫々神理教 伊藤博文   明治十七年

  扁額紹介

 大教殿上がり口に「赫々神理教」と右から左に彫られた扁額をご存知の方も多いと思われます。さらに、左端には、為書きがあり「従二位 伊藤博文」とあります。
 伊藤博文公は、初代の総理大臣であり、その後数回も総理を務め維新後の日本の政治を支え築いた人である。御教祖は、明治十年頃より上京を繰り返し、政府要人・皇室関係の方々と親交を深め、明治十七年十月に「赫々神理教」の直筆を賜わったのであります。そのほかにも山県有朋・山岡鉄舟・杉孫七郎・小松宮彰仁親王など数多くの方々から親筆を賜わったのであります。
 「赫々」とは、明らか・さかんなさま、を意味します。

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北九州市小倉南区徳力5−10−8 神理教大教庁